一昨日の朝日新聞の天声人語によると「明治半ばの人口最多は新潟県だった。米どころの地力だろう」。
知りませんでした。
当たり前のことなのでしょうが、食、中でも米が何より大切だったのですね。
ウィキペディアによると、新潟県は
1874年(明治7年)から1908年(明治41年)1888年の統計では、約150万から180万人で推移し日本一人口の多い道府県であった(→
過去の都道府県の人口一覧#1884年~1918年、
[1])。この時期は、
都市化が進んでおら
ず、日本人の9割近くが農業によって生活を成り立たせていたため、収穫高が大きい新潟県は人口涵養能力が高かった。
0 件のコメント:
コメントを投稿